第五トラディショナルrevisited / no.12 The 10s a century ago

第五トラディショナルから皆さまへ。

9/24(木)西麻布新世界での公開収録会に向け、より多くの方に第五トラディショナルとその音楽の深淵に触れていただくことを目的にかつて配信した回を文章化致しました。

そのままの文字起こしではとても伝わりづらいため、編集を施しています。ご協力いただいた早野隼さんa.k.a.ソウルユニオン、ありがとうございます。彼とは更にまた発表できるものを準備しています。

///////////////////////////////////////////////////////////

※podcast登録のススメ

iTunes music storeで「第五トラディショナル」と検索していただければ
番組ポッドキャストがご登録いただけます。

https://itunes.apple.com/us/podcast/traditionis-quinto/id587427944

 

9月24日(木)
「新世界presents 第五トラディショナル」公開収録vol.1
http://shinsekai9.jp/2015/09/24/traditional1/
[出演]
Rev.Danny Smith
渡邊恭一
ゲスト:西村ツチカ
[時間]
19:30開場
20:00開演
[料金]
1500円(1D付)

※2回放送分の収録、及びパフォーマンスを予定しています。
トラディショナルミュージックの深淵に、
新たな光を差し込ませ、挟み込ませ、機材破壊する勢いでのトークショー、となります。
どうぞ、宜しくお願いいたします。

————————————————————

第五トラディショナル…
traditionisfix1

スイング/ホットジャズの雄・渡邊恭一とオルタナティブフォークロアの旗手ダニースミスが19c後半-20c前半の英米初期レコード文化、そしてその音楽を俯瞰していくポッドキャスト。

/////////////////////////////////////////

SESSION12
“The 10s a century ago”

-100年前の”テン年代”の音楽 ― 1910年代の音楽プロデューサーたち-

https://kyoooswing.wordpress.com/2012/06/05/第五トラディショナルno-12-the-10s-a-century-ago/

※上記は配信当時の音声です。

Original Dixieland Jazz Band

 

・SESSION12 100年前の”テン年代”の音楽 ― 1910年代の音楽プロデューサーたちのオレオレ合戦? 
(小見出し)SESSION12 100年前の”テン年代”の音楽 ― 1910年代の音楽プロデューサーたちのオレオレ合戦?


恭一:今回で第五トラディショナルは12回目になります。なぜか通りすがりのギター奏者阿部寛さんも居るっていうことなので今日はひとつお手柔らかに宜しくお願いします!




ダニー:第五トラディショナル、最初にして最強のゲストを迎えたっていう流れで、困惑を隠し切れないね。




恭一:がんばろう。
で今回は、1910年代の音楽に当たってみても良いんじゃないかな。と。




まぁ、誰も知らねーだろうなってところなのですが笑
、ジム・ユーロップって方が居ましてね。話はもう、第一次世界大戦まで遡って、この1910年代のジム・ユーロップと、1917年にジャズを歴史上初めて録音したっていうODJBというオリジナルデキシーランドジャズバンドの略称なんですけど、今日はそのジム・ユーロップと、ODJBを聴いていくよ。




ダニー:いい流れだと思うよ(笑)。




恭一:で、そこからね。1910年代のODJBとかジム・ユーロップのレコードを買っていた客層というのは、実は白人のお金持ちの層中心だったのですがその層から、10年代が終わると同時に、黒人の新しい層、お客が出来るんですよ。




ダニー:そうそう。いわゆるレイスレコード、そういった黒人大衆の新しい客層、ロイクのパンピーにうける音楽をパッケージした商品が登場したんですね。
それから、ブルース、ジャズとかゴスペルがジャンルとして成立、つまり商品として売られるようになった。言いかえれば、売れる商品だ!と皆が認識したのは、1910年代いこうのことだったんですよ。






恭一:そう!そしてそういったレイスレコードなんかからモータウンが出てきたりしていまのポップス、ダンスミュージックの根底になっていく…
そこら辺のところまで行ければ良いな、と。がんばろう!
っていうか、今日は確実に予定時間の枠過ぎそうだね。




ダニー:時間枠?そんなんやめよう!




恭一:やめよう! それだ!!




ダニー:うん!




恭一:……結構、おれカラ元気だしてる……。




ダニー:スイマセン。意外と緊張してます。




恭一:というところで一曲目ですけど、ジム・ユーロップをかけたいのですよ。ジム・ユーロップは、ご存知の方にはすごく有名なんです。第一次大戦の時に、”ヘルファイターズ”っていうちょっと中二病みたいな名前のバンドを作って、第362歩兵軍楽隊というのを率いまして、ヨーロッパ中を転戦。それで米のラグタイムをヨーロッパに広めた、という功績で有名なんですね。
ただ、有名になったのは良いんだけども、楽団員を不当にというか待遇を良くしなかったもので、その楽団員に殺されて人生終えてしまう、という悲しい人なんです。なんだけども、もともと実績のあった人で、ニューヨークの金持ち相手にして、まぁ、当時のニューヨーク上流社会ではソサエティダンス、つまり社交ダンスが流行り始めていたんです。本人は黒人だったけれども、そういった白人上流社会の社交ダンスに、自分のバンドの生演奏を当てがって成功したんですね。で、そこではラグタイムを演奏していた、と。で、この音楽自体がジャズになる、なっていた、というか。どこまでがジャズであるとか、とてもわかりにくいのですが。




ダニー:この辺の時代は特にそうですね。過渡期ですね。




恭一:今回の音源は、ヘルファイターズのが結成される前に当たりますね。ソサエティオーケストラっていう、まあ明らかに金持ちを相手にしてるバンド名でして、いわゆるダンスバンドですね。ダンスバンドのハシリといえばハシリですね。その中から、これは、という音源を持って来たので、かけてみようと思うんだ。Castle House Ragです。




/////////////////////////////////音楽/////////////////////////////////////////////////////
・恭一:終始うるさいですね笑




・ダニー:ヒステリックですね笑




・恭一:けっこうクラッシュしてる笑




・阿部さん:マイクが近いんだろうね
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
恭一:一曲目から盛り上がったね(笑)。すごいイーブン感ハンパなかったし。後半、ヘドバンする勢いだったね。




ダニー:するね。する。これは踊るわ。ちょっとドラマーがハイな感じにキマってましたね。アホやね(笑)。




恭一:で、途中ヒステリックに聴こえるのはマイクが近いからだ、というお話もあったのですが……。録音技術の関係なんでしょうね[a]。遠いとよく聴こえないし、近づくとヒステリックな感じになっちゃうし。




ダニー:たしかにこの時代こういう聞こえ方するのが多いね。




恭一:とにかく、このソサエティオーケストラ。この音楽で当時のニューヨークのお金持ちたちが踊っていたんですね。




ダニー:イイネ!




恭一:いいのか??




ダニー:イイヨ!




恭一:……というわけでこういう形で盛り上がっていたソサエティオーケストラでしたが、ニューヨークから場所が変わりまして、この頃(1910年代後半)にシカゴに入ってきた音楽、まぁ、いわゆるジャズについてです。
このジャズという言葉が広く使われるようになったのもこの頃で、最初はニューオリンズからきた白人バンド(黒人ではない)が「おれらジャズバンド!」と標榜してシカゴに入ってきた。ところがシカゴのミュージシャンやユニオンにとっては完全に他所者なわけでとっても嫌われていたそうです。で、そうした差別とかレッテル貼りの意味を込めて「あいつら、ジャズなんかやってやがる」という意味合いでジャズという言葉をシカゴのミュージシャンたちが侮蔑を込めて使い始めた所、逆にアンダーグラウンド的でカッコいいというイメージが広まったという説があります。




ダニー:ジャズってもとは、フランス語という説もあるよね。




恭一:たしかに、いろんな語源があるって話だよね。基本的には「性交、セックス」って意味があったっていうしね。とにかく、汚い言葉、としてジャズは使われていて「あいつら、ジャズなんかやってるよ。引くわー」といった意味合いだったようです。だけど、これが次第にカッコいいイメージになってしまった、と。
でも、いつでもそうですね。ヒップホップでもなんでもそうですね。アンダーグラウンドシーンに惹かれる人は当時も多かったということですよね。そんな訳で、1910年代、ソサエティオーケストラが演奏している同じ時代にジャズという言葉が流行った。
そしてそこからですね、ジャズという言葉、音楽が目をつけられてニューヨークに来て録音しないか、というオファーを受けてシカゴからニューヨークにやってきたのがODJB、オリジナルデキシーランドジャズバンドの面々だったんです。




ダニー:それが1917年の話なんやね。




恭一:そう。1917年の2月26日! ”音楽界の二二六事件”とか言ってた解説書がありましたね、昔。油井正一の本だな、たしか。とにかく、音源を聴いてみましょう。




/////////////////////////////////音楽2/////////////////////////////////////////////////////
阿部さん:この音もだいぶバタバタしてるね。




恭一:そうですねーだいぶうるさい感じですね笑




ダニー:あれやね。ゼロ年代、テン年代っていうのはこういう録音の特徴があるよね。音色的にね。




恭一:やっぱり録音技術なんだろうね。




(楽器で鳴きマネを受けて)
ダニー:おー!




阿部さん:真似だよね。鳥、牛、馬とかの……。




恭一:馬とか、鹿とか……(笑)。正式には”オノマトペ奏法”っていうみたいですね。独特の縦ノリっぽいグルーブ感がありますよね。そして、ブレイクの入りがどう合わせてるか全くわからない。よく合うな、という……。




////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////




恭一:というODJBの演奏でした。ガチで”ジャズ”を名乗った録音は、これが初めて。
途中でも言いましたが、楽器で鳴きマネをしていた、ああいう奏法のことを”オノマトペ奏法”っていうらしいですよ。馬、牛、トラとか何とか……。




猫:にゃーん




一同:笑




恭一:本物がおる!!(笑)……。失礼しました。三人目のゲスト、猫のムウちゃんでした。ここだけサンプリングしてリミックスしてやろうかしらん(笑)。ムウちゃんの鳴き声で音階つけてニャーニャーニャー(ドーミーソー)って感じで(笑)。
まぁ、兎に角、ODJBだったわけです。このODJBっていうのはキチガイバンドというか、当時の人々からしてみると、とにかく変なパフォーマンスでも有名だったそうなんです。
例えば、いまではよく見る格好なのですがヘンな帽子に”DIXIE”っておもいっきり書いて赤白縦縞のチャンチャンコを着て、まるでピエロみたいな格好をして演奏する、っていうのは当時からしたら相当頭のいかれたファッションだった、と。で、その格好で更に、トロンボーンを地面に垂直に置いて、で、スライドを自分の身体の上下で動かす……というパフォーマンスをしていたとか(笑)。ちなみに、この奏法は日本の某デキシー○ングスにも受け継がれてるとかなんとか。




阿部さん:その”元祖”ね。




恭一:元祖! で、こういうパフォーマンスの目的というか、ODJBの標榜するスローガンがありまして、それが“Untunefull Harmonists playing Peppery Melody”。とにかく、音楽的にもイカれた連中がピリッ! とした音楽やっちゃいますよ! やっちゃってもいいかな!? みたいな事をね。




ダニー:ペロリ、やっちゃってもいいかな? だね。




恭一:ピカデリー梅田的に言えばね(笑)。ソサエティオーケストラみたいな音楽を聞いている連中がおハイソにまとまってるなか、俺らは違うよあくまでアングラだよ、と。で、そうやった結果があれだった、と。まぁ、現代ではあまり通じないかもしれないけど……(苦笑)。けどまぁ、アンチテーゼという意味ではフリージャズに近い出自だったのかもね。
そして、このODJBとともにNORK、つまりニューオーリンズ・リズムキングスなんかも好敵手として人気だったみたいね。これも行きたいけど、ちょっと割愛。
で、ODJBのリーダーでニック・ラ・ロッカって人物がいて、ものすごくパンクスだったみたいなんですね。まぁ何にでも反抗して「いや、オレは違うんだよ!」とか、さらには言うに事欠いて「ジャズはオレが作ったんだよ!!」とも言いふらしていた(笑)。何人か居るんですよ。テン年代には。




ダニー:あ、”ジャズはオレが作った”キャラ?




恭一:そう! 白人側に一人、黒人側にも一人、クレオールにもそれぞれ、みたいな(笑)。




ダニー:星野仙一的な。




恭一:って言うヤツがいた、と(笑)。星野仙一のさらに斜め上を行く感じですかね。そう言えば十年くらいまえに”海の上のピアニスト”って映画があったじゃないですか。あの、金歯見せちゃうピアニスト。ジェリー・ロール・モートン! あいつもクレオールだけど「オレ、ジャズ作ったんスよ、オレ」みたいなことを言っちゃってたんですね。まぁ、ニューオリンズから出てきた人は大体そういう事言っちゃうのかもしれないですね(笑)。
で、ニック・ラ・ロッカは白人側なんだけども「なんで黒人が俺らの真似して金稼いでるんだ。いい加減にしろ!」って怒ってたとか。逆ギレ!? みたいな……(笑)。でも実際どうなんでしょうかね?




阿部さん:どっちが作ったのかってこと? どっちもどっちだと思うけどなー。




恭一:うーん、やっぱり真相はみんなでした、みたいなことだったんでしょうねー。あ、まとめちゃった。でもまだまとまらないよ!
で、実はここまでの音楽を聴いていた客層っていうのは、だいたいは白人だったんですね。黒人がやっていたソサエティオーケストラだとか、白人のやっていたキチガイバンドODJBもあったけど、レコードを買って、と言うか買える層っていうのが白人だった。




ダニー:そうそうそう。




恭一:都市部なんかではこの時代くらいまではその傾向が顕著だった。ただ、この中から「いや、そんな事ないだろう」と、黒人層の需要に着目して、まだマーケティング的には未開発だった黒人のレコード購入層という部分に目をつけちゃった目ざといヤツがいたんですね。ペリー・ブラッドフォードっていう名前の黒人シンガーソングライターなんだけど、この時にプロデュース業にまわる。まぁ、1910年代の音楽プロデューサーですわ。で、それでマミー・スミスという当時ヴォードヴィルで活躍していたシンガーの子に目をつける。これ、どうにかすれば売れるんじゃないかな、と思って売りだしてみたら、これがめちゃめちゃ売れた。一説では二百万枚出たとか。




ダニー:えー!! 二百万枚!?




阿部:SPでミリオンっていうのは凄いよね。これはAKB48とかの比じゃないね。




恭一:いやーほんとですよ! 握手会とかそういう話じゃ全然無いですよ!




ダニー:人口も違うし、値段も違うしね。




恭一:だいぶ経済的な効果も大きかったらしいのですが、そのレコードを出したOKehレコード[b]を説得するのには当初随分苦労したとか。(注:これ以前にもペリー•ブラッドフォードはマミースミスと同社から小ヒットを出していたにも関わらず、黒人大衆向けの路線には懐疑的だった。)結果的にはよくやってくれたOKehレコード。それでは1920年のこの売れたマミー・スミスの録音を聴いてみましょうか。クレイジー・ブルースです。








/////////////////////////////////音楽3/////////////////////////////////////////////////////
恭一:ピアノがウィリー・ザ・ライオン・スミス!らしいです。




ダニー:結構、この頃の黒人でここまで声の高い人っていないんですよ。




恭一:そうなの?




////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////




ダニー:名曲やねー




恭一:いいねー。なんかグッと来る所というか、クリシェみたいなポップな”オイシイ”部分は今も昔も変わらないんですね。それから、マミー・スミスの声音、声域が随分高い、と。




ダニー:高いでしょうー。やっぱり、ベッシー・スミスとかマ・レイニーと比べたらね。やっぱり、その辺の人が黒人の声質的にいっても、20年代のブルース音源だとメインストリームやからね。。




恭一:ベッシーもマ•レイニーも当時のメインストリームは、いわゆるシャウターに近い感じだよね。太くて、遠くにまで響く、って感じで。
っていうか、シャウト一発で暴動鎮めたらしいね、ベッシー笑




ダニー:そうそう笑。あとはたとえば、メンフィス・ミニーとか。そういったメインストリーム系統とは、マミー・スミスは全然違うね。




恭一:なるほど。ブルースシンガーというより、やっぱりヴォードヴィルっぽい感じなんだね。もともとマミー・スミスはヴォードヴィルのダンサーでもあったみたいね。で、そこに居たところをペリー・ブラッドフォードに目を付けられる、と。……やっぱり、何時の時代もね、プロデュースされるのは女の子バンドなんですよ。もうね、プロデュースしちゃえばイイじゃない! って所あるよね。トラディショナルな感じで(笑)。




ダニー:笑



恭一:って思わないこともないんだ(笑)。やっぱり女性ボーカルっていいね。で、ちょっと声音高くハイトーンとか、透明感(笑)のある感じがあると最高!




ダニー:そうなんですよ!




恭一:われわれ日本人は透明感のある声好きだからね。




ダニー:そうなんですよ! で、ちょっと下手だとなおいい。




恭一:イイネ!!






阿部:全くおっしゃる通りです。




恭一:おお! 小西康陽さんも含め、数々のレコーディング仕事をこなしてきた阿部寛さんが断言するとは!!




阿部:もう、そこはツボですよ。完璧だったら、何のおもしろみもないからね!




恭一:まぁまぁ、そういう人の成功談を観て妬む、っていうこのPodcastの醍醐味ですね。
こんな感じで、100年前の”テン年代”を追ってきたわけです。
ということで、あっと言う間にこんなお時間。あなたと過ごしたこの瞬間!
さておき、100年前の”テン年代”の音楽を探ってみたわけなのですが、ラグタイムが出て、ジャズが出てきて、そこから結局、新しい客層として”レイス・レコード[e]”の黎明、黒人大衆の音楽文化の出現がある、と。で、20年代に入って更に面白くなっていくよ、という1910年代の特集でした。




ダニー:やっぱり転機でしたね、特に1917年前後は。




恭一:大きいですね。黒人レイス・レコード[f]のハシリがあったって事ですがダニー先生。




ダニー:冒頭でもふれたけど、ブルースもゴスペルもこの時代なんですよ。明確に”ゴスペル”とジャンル分けしたレコードが出始めるのも、この1910年代後半から20年代前半にかけてなんです。




恭一:と、言うことは当時”ゴスペル”っていうジャンルが売れる、っていう風に考えられたってことでもあるね。




ダニー:そうそう。なんていうか、むしろ、その音楽が「ジャンル付された」のはこの年代だった、とも言えるんですよ。




恭一:おおー、と言うことは完全に現代ポピュラー音楽に影響を与えた1910年代だった、って事だね。




ダニー:そうだね。




恭一:おおー、まとまっちゃったじゃなーい!!!




ダニー:やったな!!




恭一:やったね!!




ダニー:終わるか!!




恭一:じゃ、また来週ーーーー!

Advertisements

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s

%d bloggers like this: